嬉野茶の魅力を世の中に広めたい、若き茶師の活躍。副島園・松田二郎さん

佐賀県西部の山間の町、嬉野。「嬉野」だなんて、地名からして心惹かれる響きですが、この町の大きな魅力の一つといえば温泉です。嬉野温泉!江戸時代より宿場町として栄え、町の中心を流れる嬉野川を囲むように、たくさんの温泉旅館が建ち並んでいます。日本三大美肌の湯ともいわれる、九州屈指の名泉。そんな嬉野のもうひとつの名産が、嬉野茶です。

佐賀県のお茶の歴史は古く、日本のお茶栽培の起源ともいわれています。1191年に臨済宗の開祖栄西禅師が、宋の国から持ち帰ったお茶の種を、東脊振村の山腹にまいたことが始まりだそうです。栄西が種や栽培方法を伝授したことから、その後宇治や静岡にも広がって行きました。佐賀といえば有田焼など焼き物も有名ですが、1504年、明の陶工が焼き物文化と共に、南京釜による炒葉製茶法を伝え、釜炒り茶が始まりました。嬉野は釜炒り茶発祥の地でもあります。

また、嬉野茶の茶祖と呼ばれる、吉村新兵衛の功績があります。1651年、吉村は嬉野町不動山の山林を開拓し、茶樹を栽培して周りに広め、茶業の発展に貢献しました。国の天然記念物に指定されている、不動山の「大茶樹」は、吉村が植えたものと伝えられ、今も存在しています。樹齢340年を超えるという、お茶の木としては珍しい大木で、嬉野のシンボルとして、のびのびと枝を広げ、元気に緑の葉を繁らせています。

大茶樹

嬉野茶の主流は玉緑茶。茶葉の形状が勾玉のようにぐりっと丸くなっていることから、ぐり茶とも呼ばれています。日本茶の製法の中でも独特の形状であり、香りが強くうまみもあるけれどさっぱりとした風味で、茶葉が開くまで何煎も淹れられることが特徴です。現在作られているお茶の90%以上は「蒸し製玉緑茶」ですが、嬉野茶のルーツである「釜炒り製玉緑茶」も僅かながら作られています。摘んだ茶葉を釜の中に入れ、直接直火で炒ってかき混ぜながら乾燥させる製法で、生産量が少ないため、大変希少なお茶です。手作業の工程が多く、手間はかかりますが、釜香と呼ばれる特有の香ばしさがあり、喉越しはすっきりしています。

釜炒り茶の実演(チャオシルにて)


長い歴史の中で受け継がれてきた嬉野茶ですが、そんなお茶の世界に今また新しい風が吹き、注目されています。嬉野茶の魅力にハマり、お茶農家で修行しながら、お茶の魅力を世に伝える仕事を担っている若き茶師の一人、松田二郎さんにお話を伺いました。松田さんが嬉野茶と出会ったきっかけとは?

「大学生の頃、機会があってニュージーランドに一年留学していました。そのおかげで英語が喋れたので、学校から通訳の仕事を紹介してもらい、それがたまたまお茶畑を回ったり、お茶を作る施設を見学したりする内容でした。うちの実家は長崎の佐世保で旅館を営んでいて、客室にお茶は必ずあるものだったから、日常的なものとして、身近に感じていました。嬉野茶は昔から取引のあったお茶でもあり、小さい頃から飲んでいましたが、意識して関わりあうのは初めてのこと。話を聞くうちにいつの間にか惹き込まれてしまいました。大学を卒業し、自分の将来を考えたとき、ただ企業に就職するのではなく、自分で自らプロデュースし、何か新しいものを生み出すような仕事がしたいと、漠然と思っていました。それはカフェや飲食、旅館など、人々が憩い、安らげるような場所で・・・と考えていた時に、お茶と出会ったんです。お茶は日本の大切な文化であり、おもてなし、真心、という日本人らしい精神とも強い結びつきがあります。お茶をもっと勉強したい、それにはまず生産を知りたい、と思いました。嬉野の農家さんにどこか働けるところはありませんか?と問い合わせてみたら、ちょうど一番茶の茶摘みで、猫の手も借りたいくらい忙しい時期でした。二軒の茶農家さんに声をかけていただいてお手伝いすることになり、忙しい合間を縫って生産について色々勉強させてもらいました。生産の現場を体験するのは初めてのことで、一層興味が深まっていきました」

しかしその時はまだ、お茶と何か関わりは持ちたいけれど、お茶農家になるとは決めていなかったそうで、一番茶の時期が終わると、全国のお茶の生産者を訪ねる旅に出ることに。静岡、愛知、京都などの有名な生産地をひと通り巡り、日本茶カフェといわれるところも、知っている限りは全て回ったそうです。

「産地を訪ねながら、今後どうしようかと考えていた時、『嬉野茶時』というプロジェクトが動き出しました。若手のお茶農家たちが、今の時代に合った新しい視点で、嬉野茶の魅力を伝える、というものでした。その発起人が、現在自分が働いている、副島園の副島仁さんでした。副島さんに、一緒に働かないかと誘っていただいたんです。お茶の旅で日本の産地をあちこち見てきたけれど、やっぱり嬉野に戻りたいという気持ちが強くなっていた時でした。子供の頃から嬉野茶を飲んで育ってきたせいか、好きなお茶だったということもベースにあります。また生産者との繋がりができていたことから、その思いをより身近に感じていて、そこで働く方々の一生懸命な姿に心動かされていました。加えて、嬉野茶時の活動に惹かれ、働くことを決めました」

嬉野茶時では、嬉野にある温泉旅館の主人、茶農家、各地の料理人、菓子職人、嬉野の焼き物である吉田焼の窯元など、様々な「その道のプロ」がコラボレーションし、嬉野の伝統を受け継ぎつつ、モダンな様式も取り入れ、唯一無二の空間をプロデュースしています。晩餐会、茶会、カジュアルなティーサロン、バースタイルの空間など、多様なシチュエーションでイベントを行い、嬉野茶を楽しむ場を提供しています。地元の温泉旅館で行うこともあれば、東京のホテルなどへの出張もあり。松田さんもメンバーの一員として、自らお茶を淹れ、お客様をもてなしています。また、今後は茶畑の中に茶室をこしらえて、自然の風景を眺めながらお茶を楽しめる空間の計画が続々進行中だとか! 近年東京にも新しい業態の日本茶カフェが増え、外国人観光客へアピールするなど、日本茶の世界に一躍注目が集まってきている傾向があります。嬉野では2018年に「うれしの茶交流館 チャオシル」が新たにオープンし、嬉野茶についての展示見学や、茶摘み、釜炒り茶の体験など、一般客がより深くお茶を知ることができるようになりました。

うれしの茶交流館 チャオシル

チャオシル館内の展示の様子


「今こうしてお茶農家で働き、お茶を淹れていることに、自分が一番びっくりしています」と松田さん。「家でもお茶は毎日淹れますが、以前は何のこだわりもなく、ただ普通に無意識で淹れていました。今は、お茶に対する見方が全く変わり、自分にとってなくてはならないものになっています。今までずっと身近にあったものだったのに、この魅力になぜ気付かなかったんだろうって思います。お茶農家として働くことが本当にめちゃくちゃ面白いです。早朝から茶摘みをして、工場で加工して、シーズン時の生産者はほぼ寝てない状態になりますし、もちろん体力的にきついはきついんですけど、辛いと思ったことはあまりないんです」

松田さんに、お茶を美味しく淹れるコツについても伺ってみました。

「まず思いやること。そしてお湯の温度と茶葉の質はやはり大事です。飲んでみないと分からないこともありますが、いいお茶は形がきれいです。若芽で摘むので外側がツルツルとして、きれいな緑色です。嬉野茶は、日本のお茶の中でもかなり若い芽を摘むことが特徴の一つです。「みる芽」と呼ばれる、養分を一番詰め込んだ状態の柔らかい芽を摘むのが、嬉野では一般的。当然生産量は少ないのですが…。玉露ではないのに、かなり甘いのも特徴です。自分たちで育てた茶葉なので、こんな風に飲んでもらいたい、という思いがあり、それをお客さんにどう伝えたらいいか、今も試行錯誤しながら実行しています。茶葉のグラム数をしっかり測り、湯を沸かす様子を見せるなど、目の前で淹れ方のパフォーマンスをして、お客さんが分かりやすいように努めています」

最後に、松田さんが思う嬉野の魅力、そして松田さんが今後やっていきたいこととは?

「嬉野には、温泉旅館、嬉野茶、吉田焼という素晴らしい三大産業があります。もしカフェをやろうとしたら、すでに美味しいお茶があるし、器の作り手が身近にいて、旅館は空間作りのプロです。産地のもので全てを表現できるのは、この土地の魅力です。今の目標として、いずれは自分のカフェを持ちたい。これからも一人前のお茶農家になるために修行を続けていくのだろうけど、自分で育てて作った茶葉を、自分でサーブするところまでやるって、これ以上のおもてなしはないと思うんです。嬉野を拠点として発信したいし、それを自分の故郷である佐世保はもちろん、他の地域にもっと大きく広げていきたい。日本茶が面白くなってきている昨今、自分は本当にいいタイミングで勉強させてもらっています。すごく運がいい環境にいるんだと思います」


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副島園

http://soejimaen.jp

佐賀県嬉野市嬉野町下野甲427

0954-43-0051

※農園に出ていることも多いため、来店の際は、一報連絡を。


嬉野茶時

https://www.ureshinochadoki.com

うれしの茶交流館 チャオシル

佐賀県嬉野市嬉野町大字岩屋川内乙2707-1

0954-43-1991

9:00~17:00 火曜・年末年始休

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文:江澤香織 写真:山本加容