陶芸家 岡田直人さん
余計なものはいらない、四角い箱のような白いアトリエ
華やかで趣のある金沢の街から、車を走らせること1時間弱。金沢市のお隣にある能美市郊外に入ると、一変して辺り一面穏やかな自然の風景が続く。時折ぽつり、ぽつりと民家が見られるが、あとはほとんど森と山で、私達が訪ねた2月は真っ白な雪に覆われていた。新緑の季節には、さぞかし気持のよい風景が広がっているのだろうと想像を巡らせた。岡田さんの自宅兼アトリエは、そんな緑の深い山の中にある。隣に1軒、「ガリビエ」というシャルキュトリー(ハム、ソーセージなど肉の加工品)の店があるだけで、あとはほとんど回りに人の気配はない。
「人工物のないところに住んでみたいと思っていたんです」と岡田さんはいう。
「人工の建物があったりすると、どうしても無意識にでもそこに捉われてしまう。あの家はああなっているな、この建物はこうだな、とかつい考えてしまう。自分の意志じゃないところで、そういったものが目に入ってくるのが嫌だったんですね。なるべく必要のないものには意識を止めないで、たとえ無意識にぼーっとしている時間でも、自分にとって無駄だと思われるものは排除したかった。そして、できるだけ効率よく集中して仕事をしたいと思っているんです」
アトリエに設えた大きな窓の外には、ただひたすら豊かな自然が広がっている。ロクロを引くために座る椅子から目を上げると、四季折々そのままの風景が真ん前にある。
アトリエの設計は岡田さん自身でも考えて、設計士に意志を伝えた。イメージは四角い二つの箱。自宅とアトリエでひとつずつ。それを玄関で繋げた。住宅というよりは山小屋の雰囲気。白を基調にしていることも、無駄なものを省きたいという同様の理由だ。
「もしアーティストだったら、いろんなものを置いて、そこから刺激を受けたり、想像力を深めたりして、わーっと作品が作れるかもしれないのですが、自分はそういう気質じゃない。何もないほうが、頭がクリアになって淡々と作業ができる」
岡田さんのアトリエはすごくシンプルで、すっきりと整った白い空間だ。家のほうもほぼ白だそうで、ものをあまり置かないようにして、大きな納戸を作り、見たくないものはそこに放り込むようにしているとか。といってもストイックなようでありながら、堅苦しさや緊張感はあまりなく、むしろ清々しい居心地良さがある。余計なものがないといっても、決して寒々しい閑散とした感じではなくて、ところどころに岡田さんらしい趣味の片鱗も伺える。石が好きで、つい集めてしまうという白い石がたくさん入ったガラス瓶があったり、不思議なかたちの古いランプがぽつんと置いてあったり。さっぱりとしつつも、穏やかに人間味が感じられる空間なのである。
金沢の豊かな文化に惹かれ、九谷の窯元へ
岡田さんは愛媛出身で、昔から、かたちある古いものが好きだったという。中学生の頃、学校のグラウンドから土器が出てきて、それを集めていたこともあった。破片みたいなものだったけれど、いたく感動したそうだ。
「それは過去の記録媒体みたいなもの。焼き物なども同じで、昔の職人さんの手跡とかを見つけるとゾクッとします。そういうものを面白いと思っていたことが、今の仕事にも繋がっているのかなと思う。子供の頃から漠然と、何かものを作って生活ができたら、とは思っていました。作ることは好きでした」
同様に絵を描くことも好きだったので、20歳の頃はイラストレーションを学んでいたが、それで生活するには現実味を感じられなかった。そういう世界では使い捨てられ、消耗するだろうという、自分の弱さもあった。実家には砥部焼という絵付けされた焼き物の器があり、子供の頃からそれを見ていて、消耗してしまいそうなイラストの仕事よりも、コツコツと職人の技術の積み重ねで作られ、残っていくようなもので生きていけたらいいなと思った。そんなとき、焼き物をやっていた友人の紹介で、瀬戸の陶芸訓練校へ入れることに。そこで一年間学んだ後、就職先を探して、今度は石川の九谷青窯へ。
「最初は瀬戸で仕事を探していたのですが、だいたいは量産の鋳込みとか、機械の操作とか、あまり直接自分で作れる仕事がなかったんです。窯業の工場の中のラインのひとつしかできない。それもなんだか夢がないなと思って。で、もっと探していたら、手作りで一貫して作っているところを見つけて、それで初めて石川県に行きました。今から20年くらい前のことです。そうしたら、社長がいきなり寿司屋へ連れて行ってくれて、そのとき食べたホタルイカが本当に美味しくて(笑)。世の中にこんなに美味しいものがあるのか、と驚きました。金沢は工芸も食も歴史が深く、豊かな文化に魅了されて、もう即決でした」
九谷青窯では10年働いた。最初からロクロを使いたいとお願いして、座らせてもらった。今思えば相当生意気だったかもしれない、という。分業ではなく、全ての作業を一貫してやらせてもらえたので、全体の流れを見ることができた。これは九谷でも珍しい環境であり、今でもこういうシステムでやっているところは少ないそうだ。当時は絵付けもやっていたが、九谷焼はどちらかといえば、皿全体を繊細な絵で埋めていくような作業。岡田さんは、足していく行為があまり自分は好みではなく、できるだけ手を付けない潔さに惹かれていると気付いたという。
会社で使っている素材に物足りなさを感じていた時、粘土屋さんで自分の好きな素材を選んで好きなように作ってみたら、すごく面白かったことが、独立のきっかけになった。
「あ、これだ!と思って、いきなり独立したんですが、すごく恐ろしい決断ですよね。若気の至りというか、今だったらきっとできないです。その後はバイトしたり、青窯でも手伝ったりしながら、まずはサンプルを作って、それで東京に営業に行きました。社員時代に社長と一緒に東京の取引先には連れて行ってもらったりしていたので、店の様子や売り込み方は頭に入っていた。ノウハウは分かっていました。でも実際は、ちゃんと営業したのは2軒だけ。少しずつですが、人づてに自然と繋がることのほうが多かったです」
丈夫で使いやすい、道具としての器
岡田さんの作る器は、「道具」としての要素が大きい。とにかく強くて、多少は乱暴に扱っても割れない。丈夫で長持ちして、使いやすいことが最優先。あまり自分の意志は入れず、道具として完成させることが、自分の中では面白いと思っているそうだ。古いものが好きだったので、日本やヨーロッパの古い焼き物を見て、どういう素材が丈夫なのかを調べ、研究した。そこで出会ったのが半磁器。例えば古伊万里なども同じような素材で、400年前のものが今もたくさん残っているのは、そういうことなのだ。堅さと柔らかさのバランスがすごく良いのだという。そこに錫の白い釉薬を添加することで、さらに強度が増す。
「あと、自分の主観かもしれないけれど、カトラリーのあたりが滑らかなんですよ。金属との相性がいい。そういう丈夫でガンガン使えるものを作りたいと思った。でも、一歩間違えればプロダクトみたいになってしまうので、そこの兼ね合いはやはり考えます。自分は工業製品と対峙している。白いものって世の中にいっぱい出回っているので、それと差別化することを模索しています。機械みたいにぴしっと作っていても、結局人間が作っているものは、どこかに人の気配はあって、それぐらいのささやかさが面白いんじゃないかなとは思っている。例えば釉薬の掛かり方に少しムラがあるとか、ちょっと指跡が残っているとか、小さな目跡があるとか。そういう仄かな揺らぎ、質感で、プロダクトと区別できたらと思っています」
器を作るときのデザインは、どんなかたちであれ、どんな使い方をするかをまず優先しているという。自己表現は前に出さない。目立つとか、格好いいとか、かたちありきのものは絶対に作らない。例えば、盛るものを決めて、どうしたら取りやすいか、サーブしやすいか、スプーンで逃しやすいか、などを徹底的に考える。そこを突き詰めると、おのずと自分も好きなかたちになっていくという。岡田さんの作る器は、洋風のような、和風のような、どちらにもすんなり馴染む雰囲気があるが、それも狙いなんだとか。日本の現代の生活では、洋食も和食も同じように食卓に並び、箸もカトラリーも普通に使う。どちらでも上品に、そして気兼ねなく使えるような器にしたかったそうだ。
「道具としてのクオリティを上げて行くほうに面白みを感じています。使えない器は作りたくない。最小限何かひとつ用途を持たせてあげないと、道具は残らない気がする」
岡田さんは食べることも大好き。嫌いな食べ物はない、と断言するほど。石川県は食が豊かで、まず魚がおいしい。秋になれば森できのこが採れるし、近所の人が畑で採れたての野菜を持ってきてくれる。お漬物など保存食のバリエーションも多く、料理上手な人が回りにたくさんいる。そしてお隣は、とびきりおいしいシャルキュトリーの店である。そんな普段の生活が楽しくて、ここに住んで良かったという。自分が器を作っているのは、そういう理由もあるかもしれない、と。石川の豊かな食文化が、岡田さんの器を鍛えているのだろうか。どんな料理も引き受けてくれそうな、頼もしく包容力のある器である。
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