a.k.a. atelier kitchen for artisan
絶頂期での閉店から2年。シェアホテルの1階で「a.k.a.」待望の復活!
金沢を代表する和食ダイニング「a.k.a.(アーカ)」がオープンしたのは、ちょうど一年前、2016年3月のことだ。風情漂うひがし茶屋街にほど近い浅野川のふもと、かつて仏壇店だったビルをリノベーションした「THE SHARE HOTELS」の第一号店「HATCHi(ハッチ)」の1階にあり、ゆったりとしたエントランスの奥に落ち着く席が用意されている。提供するのは地元の食材を使った朝食と“くずし割烹”スタイルのディナーコース。デイタイムはホテルの入り口近くにあるコーヒースタンド「HUM&GO#」でコーヒーを買い、テーブルでおしゃべりや旅の計画を練ることもできる。「新しいツーリズムやライフスタイルの発地」というホテルのコンセプトと共鳴するレストランとして、旅人や地元人の舌を喜ばせている。
a.k.a.にとって、これは2度目のスタートだ。かつて片町に構えていた店は、10年目の絶頂期に惜しまれながら閉じていた。あれから2年を経ての、待望の復活。“記憶に残る店”“伝説のレストラン”―そんな枕詞がつく「a.k.a.」。その始まり、新しいお店のことなど、運営する株式会社 嗜季の代表・小津誠一さんに伺った。
白い和食屋、まな板カウンター、飲食店の定説を超えて生まれた伝説。
金沢の繁華街、片町の廃墟ビルをリノベーションした1階に、「a.k.a.」が誕生したのは2004年のこと。小津さんは設計事務所「studio KOZ.」を率いる建築家として、このビルの改装プロジェクトを牽引していた。東京に拠点を置きながら、故郷・金沢へも頻繁に通うようになったころ。いつからか考えていた自身の飲食店を実現させたのは、飛び出したはずの金沢の地だ。(小津さんのUターン物語はこちら)
オープンキッチンで、「でっかいカウンターにだーっと人が並ぶようなスタイルの店」の最大の特徴は、カウンターとまな板が“同じ高さ”ということだった。ウロコが飛んでくるのも、スタッフを叱る声も、ゲストにはすべて最前線ならではの臨場感。料理人にとっては手元がよく見えるし、一所懸命作業をしていてもお客様から声を掛けられるしと、負荷は高い。それでもカウンターに席をとると女将を挟んで盛り上がり、スタッフと見知らぬ客同士が一体になれるのが新しい。そのせいか、ここで出会って結婚したカップルは少なくないらしい。これも“a.k.a.伝説”のひとつ。白い空間で、器もすべて陶芸家による粉引きの真っ白なものを使用し、当初は和食店というよりカフェのような雰囲気だったという。実際、夜も紅茶と料理、水と料理で3時間など、カフェ使いする女性が多かった。「明るすぎて(荒を)隠せないわ。男の人を連れてこれやしない」と女性に怒られたことも。自然素材や地元の食材を使い、女性シェフが作る和洋の枠を超えた料理は人気だったが、やれどもやれども売り上げは上がらなかった。
悩み考えた末に、友人でもある京都の料理人・枝國栄一さんのアドバイスもあり、思い切って業態の変更を決心する。 料理は和食のくずし割烹と決め、器は色柄や質感など背景のあるものを取り混ぜ、わかりやすい和食らしさを加えた。一汁三菜にメイン、食事とデザートまでのフルコースで3500円。20代後半のサラリーマンに無理のない価格にすることで、割烹料理の敷居をぐっと低くしてみせた。それが口コミのきっかけになったのか、料理が美味しいからとお酒を飲むお客様が男女ともに増えてきた。飽きさせないようにメニューは月替わりにし、一度作ったメニューは二度と作らないと豪語して、楽しみに通ってくれるファンが付き始める。きっぷのいいお客様は「どうぞどうぞ飲んでください」「いただきまーす!」とスタッフもお酒をいただいて、よりテンションが上がり、売り上げも上がる。実に嬉しい相乗効果だ。
スタッフが心血を注ぎ、魂をもらった無二の京都修行。
そのころから小津さんはスタッフを順番に枝國さんの店「枝魯枝魯」での 修行に送り出した。京都在住のころ自身がよく通っていたというその店は、天才肌の若き料理人が構え、「ものすごく活気があり、モヒカンや髪を赤く染めた職人が、変な恰好しているのにビックリするくらい美味しいものを作ってくれる」人気店だ。そこにスタッフを3、4週間預けると、技術や気持ちが別人のようになって帰ってくる。オープン当初からいる唯一のスタッフで、新しいa.k.a.を担う長枝さんもそのひとり。「とんでもない女だね、肝っ玉の据わり方が。」と、それは京都からもらった職人としてのお墨付き。次に古株の今井さんは5年間a.k.a.を仕切り、現在は「嗜季」の総料理長を任されている。まだスニーカーをずるずるさせて履いていたという20代前半での京都修行。コの字型カウンターの端っこで洗い物に就きながら、料理を出すスピードに洗い物が追い付いていないと、下駄で脛をけ飛ばされた。ある日京都から電話があり、「アイツ、ガツンと蹴られて『ありがとうございます!』と反対側の脛を出す。小津さん、おかしな奴が来ましたよ、大丈夫かな(笑)」。
料理人たちはヘトヘトになるまで店で仕事をして、それから飲みに行ったり、夏はわずかな昼の時間に海に出かけたり。
「あんな風に仕事にも遊びにもどん欲で没頭する経験は、ある時期必要なのだと思います。設計の仕事もそうですが、手に技を付ける仕事は死ぬまで現役でいられる。その仕事を楽しめるかどうか、欲を持ち、自分の可能性を遠くまで放り投げられるかどうか。どんな可能性だってあり得ると信じてくれた子ら、成功体験のようなものを感じ取ったスタッフは、残ってくれる子も、幸せに独立していった人たちも成功しているケースが多い気がします。」
身体から生まれる創造がある。学びについて思うこと。
オンとオフの切り替えなんて考えもしない。職種にもよるが、遊びも仕事と確実につながっているような仕事がある。お客様が来てくれることがどれほど幸せなことか、それが叶えば、その後にお金はきっとついてくるはず。そうした覚悟のようなものを京都修行で芯まで沁み込ませ、腹に据えて帰ってくるスタッフたち。彼らを頼もしく見ながら、小津さんは考えることがある。今は反対に、お金と時間の条件が物事のスタートになっている。それはもちろん大事だが、同時に危ういことだと。
技術を最短で学べば、修行は無駄だとする議論がある。確かに技術は、教科書通りにノウハウを学ぶことで伝授し得ることかもしれない。けれどマニュアルにはならない学びがある。技術や経験はすべて系統だったものになるほど、簡単ではないはずだから。設計の仕事をしていると、悩んで唸りながらもペンを握って描いた線から、偶然何かが生まれることがあるという。それは身体が勝手に創り出すもの。それまで散々考えて温めてきたからこそ降りてくる知恵や発見 。偶然を起こす準備をしてきたからこそ、起こり得る「セレンディピティ」だ。
「お店を始めて最初の数年間は、異業種に踏み出したばかりで右往左往していた」と小津さんは振り返る。5年ほど経つと、お客様も店も共に育ってきた、という感覚があった。建築という物質面は、いわば出来た瞬間から朽ちていくことが始まる。けれど空間は「場」になっていくような変化が起こりだす。「こんな店にしたい」と当初描いていたことは、形のことなのか場のことなのだろうか。年月を経るうちに、構想は進化・成長していく。
そんな中で板長の料理人としての意識もどんどん高くなり、もっと上を目指せる場所として考えたのが、主計町にある大人な店「嗜季」である。けれど新たにa.k.a.を任せる予定のスタッフが、自身の夢を叶えるべく巣立っていった。a.k.a.を継続し、嗜季をあきらめるか。「普通の経営者なら絶好調のa.k.a.を閉めることはないでしょう。でも一度思ったことは止められない。泣く泣くa.k.a.を閉めました。もう一度復活させますと言いながら。」
そもそも飲食経営としては異例の店だという。板長が辞めたら店が潰れるくらい、個性を尊重した属人性の高いやり方をしているからだ。それはまさに店名に表れている。a.k.a.とは「職人のためのアトリエキッチン:atelier kitchen for artisan 」を意味し、料理人のアイデアで創り出す場所。板前がいつか卒業していくことも良しとして、職人が腕を振るう舞台を用意したのだ。巣立った人たちは日本の各地で、あるいは海外でも、それぞれに素晴らしい活躍を見せている。板前が出世する店であることも、“a.k.a.伝説”だ。
“現在進行形の金沢”で、もっとゲストを繋いでいく。
新しいa.k.a.がある橋場町は、すぐ近くに「嗜季」があり、大きな町家にいくつかの店舗を集めた「八百萬本舗」(小津さんが代表を務めるE.N.N.が運営)もある。 この辺りは昭和中期まで金沢の中心地だった場所で、小津さんにはここに“復活する繁華街”をつくりたいという想いがあるという。その場所で持ち上がったシェアホテルのコンセプトを聞いて、「a.k.a.しかない」と名乗り出た。地域内外の多様な人が、アイデアや知恵、ライフスタイルや価値観をシェアするホテル。地域の資源や魅力的なコンテンツを再発掘するきっかけの場。町家を活かして自らも“場”づくりをしながら金沢の街づくりに参加する小津さんにとって、そのホテルは未来に向けた考えを共有できるものだ。
「お酒も食べ物も音楽も、僕にすれば人と人が出会ったり会話したりするコミュニケーションの道具。飲食店はそれを支える環境です。うまい!とか、この音楽がいいね!と共感できると繋がっていける。a.k.a.でしかできないような『場』のようなものを、提供できる店でありたいと思います」
ホテルの1階というロケーションながら、そこは変わらないオープンキッチンスタイル。ただし以前は“まな板”状態だったカウンターに、小さい段差を設けている。ゲストとスタッフとのコミュニケーションを重視した前の店に対し、ゲストとの絶妙な距離感を取って料理人への注目度を和らげることで、よりゲスト同士が繋がる可能性を持たせるためだ。食材も酒も地元のものにこだわり、声高には言わないが、地元の美味しいものを素直に紹介している。月替わりのメニューはここでも継続し、料理人は常に自らの向上心と可能性に向き合って工夫を凝らす。ゲストは金沢の四季を思って楽しみをつなぐだろう。
「“ザ・金沢”という料理ではありません。伝統とは革新の連続である、という言葉がありますが、更新し続ける“現在進行形の金沢”を出せたらいいですね」
新しいタイプの成長をイメージする、きっかけの場所。
a.k.a.のほかに、小津さんが自らプロデュースや運営を行っている事業には、町家を改装した飲食店の「嗜季」、大きな町家の中にいくつかのお店をまとめた「八百萬本舗」、空き家を管理する「家守番」、町家一棟貸しの宿「橋端家」など、いまも残る町家を活かしたものが多い。一度金沢を離れ、建築のスキルを得た目で見直したとき、江戸時代からの歴史や伝統が街並みに織り込まれている金沢の特異性、その一つである町家は財産だとつくづく思う。何もかも無理に残すことはできないが、自分たちが運命のように出会ったものは、この先も“現在進行形”の街の一部として生きられるように“更新”させることが重要だと考えている。
「ここでしか生まれないものが生まれ、それが伝統の文脈の上にたっていれば、何年か後には伝統と呼ばれるでしょう。新しいものだけを目指す街もあっていいが、金沢はすでにあるものの上に立って、クリエイティブなことができる場所になればいいと思います」
金沢にUターンして約5年。当初は「何かにつけ遅い!」とジリジリする気持ちもあったが、「まぁ何もかもスピード重視でもないかな」と、気持ちに余裕も生まれてきた。街の変化もそうだ。焦って未来に漕ぎ出すことはそもそも金沢人気質に馴染まないし、時代や社会の状況もこれまでとはガラリと変わっている。成長=経済成長ではない。目先の利益だけを追いかけて、街の価値を理解しようともしない同業者には憤りを隠せない。拡大ではない進化、成長があるのではないか。たとえばアメリカのポートランドのように、消費のスピードに乗ることなく、ずっと平行線でいいというスタンスで、自分たちの価値観を醸成していく方法も一つの知恵だと思う。保守ではなく、生きた更新。そのためにも、外から来てさまざまな価値観を揺さぶってほしい。競争原理のゆるい仕事、縄張り意識…保守的な考え方が潜在的な創造性を閉じ込めているはずだ。移住や二重拠点、そのための試住や旅での交流。そのきっかけを生むおいしい料理やお酒、居心地のいい場所。さまざまな仕掛けで、小津さんは金沢のいまと明日に働きかけている。
金沢暮らしを、間違いなく楽しくしてくれた店。かつてのa.k.a.をそう表現する人がいる。誰かがいるから行こう、と足が向く居場所。そんな空気みたいなものがあったのだと思う。
「なのでa.k.a.復活と言ったら、その日から満員御礼かと思ったら、意外とそうでもない(笑)ポツポツとマイペースというのも、らしいかな。またぼちぼちやればいいから。」
ベンチスタイルのテーブルには、若い女性や外国人の男女が、それぞれの時間を過ごしている。その横には、トレイに乗せたお茶を飲みながら語り合うおばあちゃんたちの姿も。ちょっときれいな恰好をして、晴れやかに微笑む。新しいa.k.a.も、やっぱり居心地がいい。
a.k.a. [atelier kitchen for artisan]
〒920-0911 石川県金沢市橋場町3-18 THE SHARE HOTELS HATCHi 1F
THE SHARE HOTELS HATCHi(ハッチ)
076-255-0208(a.k.a.専用番号)
朝食 7時〜9時(前日21時までの予約)/ 夕食 17時〜23時
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小津誠一さんプロフィール
有限会社E.N.N.代表/株式会社嗜季代表
1966年石川県金沢市生まれ。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。
東京の設計事務所勤務でバブル期とバブル後を経験の後、京都の大学で建築教育に携わる。1998年京都にて「studio KOZ.」を設立。京都と東京で建築やインテリアの設計を行う。
2003年金沢にて(有)E.N.N.を設立。廃墟ビルの再生と同時に、実験性に溢れた創作和食店「a.k.a.」を開業。これを機に東京、金沢の二拠点活動を開始。2007年、初の地方版R不動産「金沢R不動産」をスタートする。
2012年より、東京からUターン移住して金沢を本拠地として活動。(有)E.N.N.にて建築・不動産事業、(株)嗜季にて飲食店事業を行うほか、八百萬のヒト・モノ・コトが集う開かれた町家「八百萬本舗」や一棟貸しの町家の宿「橋端家」の運営など、活動は多岐に渡る。
東京とも京都とも違う視点から、金沢の文化的な街づくりにも参加。移住や二拠点を考える人のための移住マップ「KANAZAWA TRIAL STAY MAP」制作など、リアルな発想で街の活性化を促している。
2016年より、「 THE SHARE HOTELS HATCHi(ハッチ)」にて、営業を休止していた「a.k.a.」を復活させ、新たな飲食空間と地域拠点づくりに取り組んでいる。
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写真:高野尚人 文:甲嶋じゅん子
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