有限会社E.N.N.代表 小津誠一さん【後編】

これまで

 ふる里・金沢を高校卒業とともに飛び出し、新しい文化の一端を担う建築を学ぼうと上京した小津誠一さん。大学時代は建築と音楽を絡めたイベントや、今も続ける大好きなサッカーに明け暮れた。社会人になった小津さんは、バブル期とバブル崩壊という、いわばハイ&ローな状況を建築事務所のスタッフとして経験。売り言葉に買い言葉で事務所を辞めた翌日、なんと「辞めていいよ」と言った当人である事務所のボスの要請で、一転、京都へ。充実感もあった京都での生活だが、そろそろ潮時を迎えていた。


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東京を経て、金沢との縁が復活。転機をつくったコンペティション。

 

 7年間過ごした京都を後にして、2001年の冬に東京へ戻った。京都で設立した自身の建築設計事務所「studio KOZ.」として、本格的に仕事をしようと考えたからだ。帰京して最初の仕事は居酒屋のインテリア。どこにいても、お酒と料理がおいしい店には数多く通ってきた経験から、得意とする分野だ。ほどなくして、以前大阪で出会った金沢の知人から、思いがけない相談が持ち掛けられた。「金沢に21世紀美術館ができるらしい。その中のカフェの公募に、立候補しないかと声がかかったが、どうしたらいいだろう」。長いこと金沢には寄り付かなかったのに、ひょんな縁だ。聞けば提出まで1.5ヶ月の短期決戦。「よしやるぞ!」とエンジンがかかった。

 プロジェクトチームとして8人のメンバーを集め、NPO団体を結成。小津さんが企画案として重視したのは、カフェを成り立たせる仕組みづくりだ。今でこそよく耳にする「しつらえ・ふるまい・もてなし」という言葉を、「ハード・OS・ソフト」、さらには「モノ・ヒト・コト」と読み替えて、事業計画から店舗デザイン、営業コンテンツまでをまとめ上げた。企画書は高く評価され、そのコピーが市内中心部で出回ったという噂があるほど。残念ながらコンペには勝てなかったが、このことが、小津さんの大きな転機になっていく。




人が集まる場所をつくる― 学生時代の思いが、溢れるように現実に。

 

 企画書の効果か、金沢市の中心部にある廃墟ビル再生の話が舞い込んだ。建築設計だけでなくテナント企画も引き受け、NPO団体の有志メンバーで21世紀美術館のカフェ案をアレンジした「puddle/social(パドル・ソーシャル)」という飲食店を地下につくる。さらに小津さんは、1階に自身の店を出そうと決心する。

 「実は京都から東京に戻ったときに、自分で飲食店をやる考えがありました。自分ならこうしたい、という思いもあった。だから建築設計と同じくらいの割合で、飲食店をなんとかやりたいと動いていたんです」。

 店を出すにあたり、有限会社E.N.N.を設立。そして1階に誕生したのが、約10年間、斬新な創作和食店として好評を得た「a.k.a.」である。廃墟を再生したビルは地下と1階がテナント、2・3階は集合住宅のかたちをとりながら一部をSOHOとし、E.N.N.もここに事務所を置いた。

 さらに企画書をきっかけにした依頼でイベントをプロデュース。1年目は約4000人、2年目は約8000人を集客し、大成功をおさめた。イベントと言えば、学生時代に仮設建築をつくり、大勢集客した学園祭がスタートだった。京都でも、市の委託を受けてイベントを企画している。人が集まる建築をやりたいと、夢想していた学生時代。気づけば自身の事務所をつくってから、大学卒業とともに封印してきたことを少しずつ解放するようになっていた。東京で住宅や飲食店を設計し、金沢では飲食店経営とイベントの企画・プロデュース。これが何につながるのかなと思いながら、東京と金沢の二重生活が始まっていた。



いつしか金沢での仕事が充実。そして、決心したUターン移住。

 

 2001年、京都から東京へ戻ったベクトルは、さらに金沢につながった。そして2003年にE.N.N.を設立、2004年「a.k.a」を開店、2005年・2006年にイベント企画と、次々に物事が動き出し、金沢との関係が積みあがっていく。2007年には、独自の視点で不動産物件の魅力を紹介する「東京R不動産」初の地方版として、「金沢R不動産」をスタート。本来はセットであるはずの建築と不動産業界の溝を埋めていくような姿勢に共感し、物件調達などを1年かけて準備した。

「かっこいい建築をつくる前に、それを成立させるための前提条件をデザインするべきじゃないか、という考えがあります。飲食店経営や金沢R不動産もその思いの一環です」

こうした姿勢を明確にして動くほど、理解してくれる人が増えていく。いつしか仕事の数は、金沢が東京を上回っていた。

 東日本大震災の日に、小津さんは新しい飲食店「嗜季」の打合せで金沢にいた。不安な思いで数日ぶりにようやく帰った東京で目にした建築物は、照明の演出を失ってやけに貧弱だ。コンビニが機能しないと何もできない脆弱な街、殺伐とした人々を眺めて感じたのは、「なんか違うよな、東京」。そのころに注目を集めたソーシャルデザインについての講演会を、事務所スタッフと一緒に聞いた帰り。みんなで焼き鳥を食べながら、ふと思いつき、スタッフに聞いてみた。

「もし設計チームも金沢に移ると言ったら、どうする?」

「いまはその時代だと思います!」

 思った通り、みんなその気だ。仕事は金沢にたくさんある。建築の存在意義も地方のほうがあるし、地方は建築を必要としている。

「自分にはそのチャンスがあるし、つながりもある。じゃあ行ってしまおう、と。とはいえ、本当に金沢で食べていけるのか、一抹の不安はありました」

 2012年、スタッフを引き連れて東京からUターン移住。気軽に行き来できるように、東京事務所も残しておいた。こうして、金沢を本拠地とした様々な活動が始まったのである。




美術館、新幹線。そのメリットに踊らず、リアルな視点で面白い場所をつくる。

 

 久しぶりに金沢に住んでみると、高校時代に辟易した窮屈さを思い出した。でも今は、それを受け流す術を心得ている。忙しさは東京と変わらないが、都心では感じられなかった季節の変化が、ここではとても身近だ。事務所がある商店街には旬の食材が並び、「(旬の)甘海老もう食べた?」みたいな会話が、あいさつ代わりに若い子からもお年寄りからも聞こえてくる。その環境が、とても心地いい。建築設計事務所、金沢R不動産、飲食店経営など、自分たちの経験とスキルを多角的に結び付け、飲食店出店の相談には仕入れ先なども含めた詳細なコンサルタントから移住者のための融資アドバイスまで、リアリティに落とし込んだ活動をしている。さらに移住検討の機会が増えるように、金沢R不動産のスタッフで「KANAZAWA TRIAL STAY MAP」という試し住みのためのお役立ちマップも制作した。自分たちで魅力的な場所を創り出すだけでなく、金沢のまちづくりにも様々なかたちで積極的に関わっている。


 そうした活動を通して、東京から金沢への旅行者や移住者は増えたと実感しているが、それが金沢の人気上昇によるものなのかは「まだわからない」と慎重だ。

 金沢と言えば兼六園が代表的な観光地で、新婚旅行の思い出をたどる熟年層か、女性のひとり旅が思い浮かんだ十数年前。2004年に誕生した金沢21世紀美術館は、斬新な建築とコンテンツの新しさで、県内外に大きなインパクトを与えた。IターンやUターン移住者がクリエイター活動を始めるなど、何かが変わりそうな可能性を感じさせ、イメージを大きく転換。それから約10年後の2015年に北陸新幹線が開通。約10年タームで起こった2度の大きな変化のタイミングが、小津さんはとてもよかったと考えている。小津さん曰く、「のんびりとしていて、アイデアを寝かせちゃう」のが金沢人気質。そのことが、街の変化にも好都合に働いたのではないか。一気に街を一新させて未来の方向性を決定するのではなく、現実に気持ちが追いついて、何が起こっているのかを咀嚼する猶予になった。社会や地方が変化せざるを得ない時代に、ほかの地域の事例も参考にできる。どの地方も多様な変化を模索しているその中で、金沢が本当に際立っているのか、それがわかるのはこれからだ。




東京・京都での経験でわかった、金沢だからこその可能性をかたちにする。

 

 同時に、“金沢らしさ”もよく見えてきた。最先端の都市として次々と真新しい表情を身に纏う東京。1200年以上もの歴史の中で、学問や音楽、アートといった幅広い分野において、常に先端の人材を輩出し続ける現在進行形の文化都市、京都。そのどちらとも違う金沢の街。町家の残る風景から「小京都」と呼ばれることもあるが、その差異を知ってほしい。公家文化の京都に対して、金沢は武家文化。戦がおさまった江戸時代に街が作られた金沢で、文化の中心は武士や町民だった。お茶や工芸といった金沢伝統の文化も、武士や町民の生活へと根ざしていったものなのだから、現代の生活にも受け入れられる可能性があるだろう。金沢21世紀美術館は、美術館が持つ役割としてその一端を掬い取って見せてくれた。実際そこから新しい扉を開き、ダイレクトに世界とつながるようになった作家もいるという。

 また幸いなことに、2度の世界大戦でも空襲を受けることなく、金沢の街は江戸の街路をそのまま残している。町家や街並みという財産を活かしながら、リアリティのある文化を醸成し発信すること。文化を核にすることで、金沢ならではの街の魅力づくりができるかもしれないと考えている。空き家の管理・利活用をサポートする「家守番」、大きな町家の中にいくつかのお店をまとめた「八百萬本舗」、町家一棟貸しの宿「橋端家」などの事業は、町家を残しながら活かすために、小津さんが自らプロデュースや運営を行っているものだ。

 金沢の街を飛び出し、東京と京都というタイプの異なる街を体験し、再び金沢へ。いま小津さんは、個性的な場所や空間を創り出しながら、金沢だからこそのまちづくりに取り組み続けている。


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小津誠一さんプロフィール

有限会社E.N.N.代表/株式会社嗜季代表

1966年石川県金沢市生まれ。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。

東京の設計事務所勤務でバブル期とバブル後を経験の後、京都の大学で建築教育に携わる。1998年京都にて「studio KOZ.」を設立。京都と東京で建築やインテリアの設計を行う。

2003年金沢にて(有)E.N.N.を設立。廃墟ビルの再生と同時に、実験性に溢れた創作和食店「a.k.a.」を開業。これを機に東京、金沢の二拠点活動を開始。2007年、初の地方版R不動産「金沢R不動産」をスタートする。

2012年より、東京からUターン移住して金沢を本拠地として活動。(有)E.N.N.にて建築・不動産事業、(株)嗜季にて飲食店事業を行うほか、八百萬のヒト・モノ・コトが集う開かれた町家「八百萬本舗」や一棟貸しの町家の宿「橋端家」の運営など、活動は多岐に渡る。

東京とも京都とも違う視点から、金沢の文化的な街づくりにも参加。移住や二拠点を考える人のための移住マップ「KANAZAWA TRIAL STAY MAP」制作など、リアルな発想で街の活性化を促している。

2016年より、The Share Hotels「HATCHi」にて、営業を休止していた「a.k.a.」を復活させ、新たな飲食空間と地域拠点づくりに取り組んでいる。

http://www.enn.co.jp/

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写真:高野尚人 文:甲嶋じゅん子